熊駆除のニュースを見てふと思い出した。
幼い頃、秋口に猟が解禁になると「あの山へは行かないこと!」と親に強く念押しされた事。全部が全部行ってはいけないわけではなかったような記憶がある。
秋には木の実を拾ったり、食べられる実を取りに行ったり、焚き付けの杉葉や小枝を拾ったりとやることややりたいことが一杯あった。紅葉の種で遊んだり、落ち葉を集めてジャンプごっこしたり、栃の実や山栗を拾ったり、楽しみが沢山あった。
行くなと言われる山は子供の足ではちょっと遠いし、普段は動物と神様のすみかと教えられてるところだったから、ほとんど行くことは無かったのだけど、それでも鉄砲持った人を見かけると絶対に行かないと思ったものだった。
父の仲良しのおじさんが熊撃ちの名人で、その家の玄関には大きなツキノワグマの毛皮が敷いてあって、こんなに大きい熊がそばに来たら怖いなあといつも思ってた。親戚のおじさんはキジ撃ちが得意で、毎年猟期になると我が家に泊っていた。
で、キジやイノシシ、クマの肉などが食卓に上る。大抵は鍋料理で仕留めた御当人も一緒のことが多かった。独特のにおいがあっておいしいけれど少し苦手の意識があった。キジは筋っぽかったし、、、。
そして、どうしても食べながら仕留めた時の話になる。
楽し気な話を聞きながら、大変だなあと思うことが結構あった。特に傷を負った時はその傷を見せてもらったりするから余計に。
いつも何気なく言われるのは、命を頂いてるから無駄にしちゃいけないよ、ということ。本当は生かしてあげたいと思うこともあるけど、こうやって減らさないと里へ下りてきてしまうからね、とも言ってたっけ。
今、捕獲した熊を山へ返せと言ってる人が結構いるらしい。熊を里へ来させないために山にドングリを撒けばいいと言って実行してる人がいるらしい。実態をわかっているのかなあと思う。、
昔と違って山の中に車道を通し、神様や動物のすむ場所が荒らされている。
気候の変化で山の実りがおかしくなっている。
下手なところにドングリを撒けば、学習した動物はそこに毎年集まってくるようになる。人間様が持って行って撒けるところなんて、屈強な人でない限り人里近いところになってしまう。
動物には申し訳ないけど、おじさんたちが言ってた「減らさないと里へ下りてきてしまう」を実行しないといけない。単に動物が可愛いから保護するで済まされる問題ではない。
高みの見物をしてぐちぐち文句垂れる暇があったら、現地へ行ってその恐怖を味わってみい!!!と言いたくなってしまう。