生活の変化

何気なくテレビを付けたら、田舎でほぼ自給自足に近い生活をしている家族の話をしていた。切り口は光熱費と水道代なんだけど、、、。

見ているうちに、なんだ自分の幼い頃と同じじゃんと思ってしまう。

味噌醤油は家で作るものだし、野菜はほぼ自家製。それぞれの家によって作る野菜の得手不得手があるから、おすそ分けしあいっこするから種類は結構豊富。まあ、季節ごとに同じものが一杯採れるから飽きてくるってのも同じ。

水は山の湧き水、燃料は薪、電化製品は大して無いから電気料金は極僅か(だったと思う)。

家業が商売だったこともあり、小学生になった時から夕食の支度と麺類の支度はほぼ私の仕事。いつから包丁を持ったのかとんと記憶がない。一応作るものの指示は母からあるものの、材料は根菜類や頂き物を除けば、畑から取ってこなくちゃいけないものが殆ど。

秋になると、焚き付けの杉葉を集め、大量の薪を確保。決まった長さに切った薪を割るのは、じさまかわたし。酒類の通い箱が木製だったから、壊れたものを集めておいて、釘抜きをして切りそろえる作業もあったっけ。そうそう、くれ屋根(板葺き屋根)をはがしたものもあったなあ。

野菜は、室と土の中。大量の漬物を漬け、干し野菜を作る。干し柿や渋柿の渋抜きなんかもあったし、じさまは山へ行くたびに木の実を拾って帰ってたっけ。くるび(くるみ)や銀杏の外皮はがしは臭くてたまらなかったけど、食べるのが楽しみでもあった。

「越冬用」の言葉は至極当たり前であった。まあ、冬になると一本の踏み分け道があるだけだったからねえ。ブルドーザーが通るようになって、燃料にガスや灯油を使う家が増えて、いつの間にか「越冬用」の言葉も聞かれなくなったけれど。

ここまで書いて、はてあれから何年たってんだろ、と考えてしまった。

僅か数十年前。変われば変わるもんだ。