母の手跡

タンスにしまったままだった子供の浴衣を引っ張り出してきた。かなりきちんと洗ってしまっておいたはずなのに、結構シミが浮き出てこれは処分するしかないかなと思ったけど、ふっとほどいてみる気になった。

この浴衣、母が自分の子供に縫ったものを、私が譲り受けてもらってきて子供に着せたもの。要は伯父さんと甥の二代に渡って着用している。

当時、30代だった母が一晩で縫い上げたものだった記憶がある。

母の縫った着物は(浴衣を含め)何枚も持っているけれど、ほどいてみたことは無い。母以外の人が縫ったものをほどいたことは何度かあるけれど、、、。

母の手跡を見たいという思いもあり、ほどいてみた。タンスの中で眠ったまま〇十年経ってるから、糸も布もピッタリ張り付いたようになって下手に力を入れられない。仕方ないので鋏で糸をぶつぶつ切りながらのほどき作業となった。

いやあ、これほどきれいに縫う人だったとは!とほどきながら思う。職人ではないのに、頼まれて縫い物をしてたし、難しいと言われる絽や紗も、わざわざ名指しされて縫ってたからかなりの腕だとは思っていたけど、ここまでとは。

着物はほどいて仕立て直しをするのが前提だから、ミシンなどと違ってある程度の粗さで縫ってあるんだけど、その針目にほれぼれしてしまう。縫い目が揃っているのは当たり前。身八つ口の閂止めも、縫い始めや縫い終わりの糸こぶも、縫う部分によって異なる様々な縫い方もぴっちりきっちり。ほどきながら縫い目に見とれてしまうことしばし。縫う場所によって糸の太さも変えてあったし、、、。そして、やっぱり習っておくんだったと、改めて思ってしまった。

面白かったのは筒袖の下の部分と背当ての一部分だけミシンで縫ってあったこと。いしき当てもつけひもも全部手縫いだったのに、何でだろう。

折角ほどいたんだからと洗ってみたら、シミがかなり無くなったので、ちょっと作り替えてみた。できたのは、シミを避けていいとこどりした7枚の布巾と一山のウエス。ほどき糸以外、捨てる部分は何もなかった。

*浴衣と変身後の姿
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ほどきながらふと思い出したことがある。

中学生になったばかりの秋口、ほどいて洗い張りをしなさいと、母に一枚の木綿の着物を渡された。洗い張りなんてやったことないしと戸惑っていると、糊の濃さなんかは教えるからとにかくやりなさいと言われた。

言われる通り全部ほどいて、糊の濃さを見てもらって、見よう見まねで張り板に貼り終えて乾かし、結構満足気分で取り込んだものを畳んでいたら、じいさまからダメ出しを食らった。

曰く、布に糸くずが付いたまま貼るなんて、糸をぶつぶつ切るなんて。

確かに、糸くずが付いたままでは次に仕立てる時に邪魔。糊がついた糸は布に張り付いて取りにくい。なるほど、やって見なきゃわからないもんだと思いつつ、かなり残っている布に張り付いた糸くず取りをした後、何で糸を切っていけないのかわからず聞いてみた。

すると、木綿の糸はなるべく長く残してほどいて、つないで巻いておくもんだと言われる。巻いて置いた糸は、雑巾縫ったりちょっとした繕いに使えるからと。ほんの一、二年来ただけの着物を縫ってあった糸は、そうそう擦り切れて痛むものではないから、再利用に耐えうると。雑巾なんかは新しい糸より柔らかくて使いやすいものができるんだとか。

着物は仕立て直しが前提で、ほどきやすい様に縫ってあるから、糸端のごぶを引っ張ればすっと抜けてくる、とも言われたっけ。

これを教えてくれたのはじいさま。母もほどいた布を見て気が付いていたはずなんだけど一切言わずに黙っていたのはなぜなんだろう。今思い出しても不思議な気がする。