母の遺したほどきかけのものを解体したり、細工物に使えそうな着物地を整理したりしてたら、色々面白い物が見つかった。
ひとつは袴地。
糸引きに行ってた諏訪の製糸工場で、一等工女になって桐のお針箪笥をもらったという同級生のお母さんからもらったもの。近所の機屋さんでひたすら高級織物を専門に織っていた人で、特に袴地はそのおばちゃんだけが織っていた。そうそう、嫁入り道具や花嫁衣装はすべて自分のお給金で揃えたらしい。
おばちゃんいわく、自分で織ったものの端切れを持っているけど、このまま埋もれてしまうのが忍びないからもらってくれない?とのことだった。娘さんにやればいいのにと言う私に、あの娘は、こういうことに全く興味がないから上げたって喜ばないし、あんたなら大事にしてくれそうだからと一等工女になった時のお針箪笥と一緒に渡された。断るに断れず有無を言わさずという感じだった。
画像で見るとよくわからないけれど、細かな地模様が入っていて、これだけきれいに織るのは大変なんだろうなと思う。何に使ったら生きるんだろうな、と思いつつ仕舞い込んだままだった。どうしたもんだろうな。
ちなみに一緒に頂いたお針箪笥はこれ。
内側は全て桐で、くけ台も、針山を入れるための小さな箱もついて、かなりていねいな造り。一時期使っていたけど、今はミシンの横でおねんね中。
もう一つは母のほどきかけをほどいて見つけたもの。
長着は特に何もなくいつものほどき物。
野良着の上着をほどいていてびっくりしたことが幾つもあった。
まずは、既製品を手直ししたものだったこと。
とはいえ、元のままなのは袖とポケット口の縫い目だけ。後は徹底的に縫い直してあった。ここまで手直しするんなら新しく縫った方が楽なんじゃないの?と思うくらい縫い直してあった。
次は徹底的に使い込んであること。日にあたって色あせているのはほどきながらわかっていたけど裾のマジックテープを外したら、その部分だけ色褪せていなかった。おまけに、薄くなったと思われる部分に細かな縫い目で運針が施してあり、ここまでしなくてもいくらでも新しいものがあっただろうにと思うとため息が出てしまう。
画像で見ると大差ない様だけど、実際はもっとくっきりと色の差がわかる。
そして襟芯。どうみても何かが入っていた袋の切れはし。アメリカでいうフィードサックの布。書いてある文字が半分しかないから想像するだけだけど、何かの粉が入っていた袋のような気がする。ひょっとしたら肥料かなあ。小麦粉が入っていたのは緑の文字印刷だったようなおぼろげな記憶があるんだけど、、、。
同じようなサイズと厚みの白い木綿地は母の端切れ箱からどっさり出てきてたのに、なんでわざわざこれを使ったのか?わたしには不思議でしかない。
<追記>
「H」がはっきりわかるから、多分肥料の袋。食品の袋にはアルファベットは印刷してなかった気がする。
「H」の上の文字は「手かぎ無用」の文字じゃないかなあ。
屈強なおじさん達が、手かぎを使って大きな袋を背負って運んでる姿を急に思い出した。