処分の基準

時々覗くブログの一つにお片付けをメインにしてるものがある。まあ世に言う断捨離ブログ。断捨離と言う言葉はあまり好きじゃないけど、、、。

始末が悪いからお片付けが必要になるんであって、日々それなりに取捨選択をしていれば強いて大仰な言葉を使わなくて身構えなくても済むはず。と常々思ってはいるものの、日々流れ込んでると言うか引き寄せている物の量が多すぎて始末が追い付いていないのも事実。

で、ブログの話に戻るのだけど、様々なものを処分して、それを画像に残してあることが多い。処分の理由もしっかり書いてあったりするんだけど、この状態でもう処分するんだ、と驚くこと多々。

家だったらまだまだご活躍願うなあ、と思われる状態のものをぽんぽんと処分してるように見える。まあ、画像で見るだけで現物を手に取ったわけではないから実際は思ってる以上にひどい状態なのかもしれないけど、、、。

うーん、我が家の処分基準は、よそ様とかなり違うのかしらん。

そして、処分理由が、古びてきたから、ちょっと毛玉が出来たから、たくさんありすぎるから、もう使わないから、使いにくいから等とあるのだけれど、その言葉の端が乾かないうちに、新しいのを購入しましたとなってることが多いのだもの。それも似たようなもののことが多い気がするし。

処分したり新しいものを買ったりするのはその人の自由だし傍がとやかく言うことではない。そうは思うけど、でもねえ、なんだかねえ。

こんなに沢山ポンポン処分して、又ポンポン新しいものを手に入れて、それでいいのかなあ。捨てるにしろ、購うにしろ、物が動く。ごみが増える。処分するものもそうだけど、購うときだって梱包材などが付随してるから結局ごみが増える。

これだけごみごみと騒がれてるのに、気にならないのかなあ。

等と思いながら、あれこれ始末しなくちゃと思ってる自分がいる。新しくあれが欲しい、これも必要かな、等とも思う。

全く、矛盾のかたまりもいい所。